稲庭うどんの極細麺を作る職人の技と知恵
三百年受け継がれる極細麺の神髄
「白い絹糸のような美しさ」とも称される稲庭うどん。一般的なうどんの半分ほどの細さで、その直径はわずか1.3〜1.7mm程度。この極細の麺が生み出す喉越しの良さは、秋田県南部に伝わる三百年の伝統技術から生まれています。
私が初めて稲庭の老舗を訪れたとき、職人たちの手から生まれる麺の細さと均一性に息をのみました。まるで芸術作品を見るような感動があったのです。
伝統を守る五つの製法工程
稲庭うどんの極細麺を生み出す製法は、主に以下の5つの工程から成り立っています。

1. 厳選された原料選び – 小麦粉、塩、水のみというシンプルな材料ながら、小麦粉は中力粉と準強力粉をブレンドし、塩は天然塩、水は軟水を使用
2. 熟成させる「ねかし」工程 – 捏ねた生地を8〜10時間以上寝かせることで、グルテンを十分に発達させる
3. 手延べによる「延ばし」 – 生地を何度も折りたたみながら延ばし、麺の強度と弾力性を高める
4. 特徴的な「小間切り」 – 均一な太さに切り分ける技術
5. 「二度干し」による乾燥 – 一度乾燥させた後、再度湿らせてから干すことで、独特の食感を生み出す
特に「手延べ」と「二度干し」は稲庭うどんの命とも言える工程です。秋田県稲庭町の気候風土に根ざした伝統技術であり、機械化が進んだ現代でも、多くの工程が職人の手作業によって支えられています。
極細麺を生み出す職人の技と感覚
「麺の太さは、職人の指先で決まる」と語るのは、秋田県で30年以上稲庭うどん作りに携わる佐藤棟梁(仮名)です。
「温度や湿度によって生地の状態は日々変わります。その日の気候を肌で感じ、生地の状態を指先で確かめながら、水分量や延ばし方を微調整していくんです」
実際、稲庭うどんの製造現場では、気温15〜25℃、湿度50〜60%が理想とされ、自然環境に左右されやすい繊細な作業が続きます。夏場は朝4時から、冬場でも6時から作業を始める職人も珍しくありません。
極細麺の秘密は「二度干し」にあり
稲庭うどんの特徴的な製法「二度干し」は、他の麺にはない独特の食感を生み出す秘訣です。最初に6〜8時間乾燥させた後、再度湿らせてから2回目の乾燥を行います。この工程により、麺の表面と内部で異なる乾燥状態が生まれ、茹でた時の「外はしっかり、中はもっちり」という絶妙な食感につながるのです。
国内の製麺技術研究によれば、二度干しを行うことで麺のタンパク質構造が変化し、通常の乾麺と比べて約1.5倍の弾力性が得られるというデータもあります。
伝統と科学が融合した稲庭うどんの極細麺。一本一本に職人の技と魂が込められているからこそ、私たちの舌を魅了する独特の食感と風味が生まれるのです。
稲庭うどんの歴史と極細麺が生まれた背景
300年の歴史が育んだ極細麺の伝統

稲庭うどんは、秋田県南部の旧稲庭町(現・湯沢市)で江戸時代中期から続く伝統食です。1700年代初頭、佐藤養助氏が現在の稲庭うどんの原型を考案したとされています。当時の記録によれば、養助氏は京都や讃岐の製麺技術を学び、厳しい東北の冬に保存できる乾麺として改良を重ねました。
特筆すべきは、稲庭うどんが極細麺として発展した背景です。秋田の寒冷な気候と雪深い環境が、実は極細麺の製造に理想的な条件を生み出していました。寒冷で乾燥した冬の空気が、麺の水分を均一に抜き、独特の食感を作り出すのです。
極細麺の誕生と地域性
稲庭うどんが極細に仕上げられる理由には、地域の環境要因が深く関わっています。
– 水質の影響: 奥羽山脈から湧き出る軟水が、小麦のグルテンと絶妙に絡み合い、弾力のある生地を生み出します
– 気候条件: 夏は高温多湿、冬は厳しい寒さという対照的な気候が、麺の熟成と乾燥に理想的な環境を提供
– 地域の食文化: 細麺を好む東北地方の食文化と、保存性を重視する雪国の知恵が融合
国の統計によれば、稲庭うどんの生産量は年間約1,200トンに達し、その95%以上が伝統的な手延べ製法で作られています。機械製麺が主流の現代において、これは驚異的な数字と言えるでしょう。
極細麺を生み出す技術革新の歴史
稲庭うどんの極細化には、技術的な進化も欠かせませんでした。江戸時代から明治にかけて、製麺技術は大きく発展します。
当初は太めだった麺が次第に細くなっていった背景には、以下の技術革新がありました:
1. 二段熟成法の確立: 18世紀後半に確立された、生地を一度寝かせてから再度こねる技法
2. 手延べ技術の洗練: 19世紀に入り、より細く均一に延ばす技術が発達
3. 二度干し製法の導入: 明治期に確立された、麺に独特の弾力と艶を与える乾燥方法
秋田県の古文書によれば、1887年(明治20年)頃には現在とほぼ同じ極細の稲庭うどんが製造されていたことが確認されています。当時の製法書には「髪の毛のように細く、雪のように白い」と表現されており、既に極細麺の美学が確立されていたことがわかります。
現在、正統な稲庭うどんの太さは約1.3mm前後。これは讃岐うどんの約半分の太さであり、そばと同等かやや太い程度です。この繊細な極細麺を均一に作り上げる技術が、300年以上にわたって継承されてきたのです。
極細麺を実現する職人技と独自の製法の秘密
極細1.3mmの奇跡を生み出す「手延べ」の真髄
稲庭うどんの最大の特徴である極細の麺線は、単なる偶然ではなく、長い歴史の中で磨き上げられた職人技の結晶です。一般的なうどんが3mm前後の太さであるのに対し、稲庭うどんはわずか1.3mm程度という驚異的な細さを誇ります。この極細麺を実現するためには、他のうどんとは一線を画す独自の技術が必要となります。

職人たちは「手延べ」と呼ばれる伝統的な製法を用いて、小麦粉と塩水から作られた生地を少しずつ引き延ばしていきます。この工程で最も重要なのが「コシの強さ」と「均一な太さ」の両立です。
極細麺を支える三つの職人技
1. 絶妙な水加減と捏ね
稲庭うどんの生地づくりでは、小麦粉に対する水分量が通常のうどんより少なめに設定されています。秋田県稲庭地方の名水を使い、塩分濃度を約13%に調整した塩水(「こね水」と呼ばれる)を使用します。職人は室温や湿度に応じて水分量を微調整し、生地の硬さを一定に保ちます。
捏ね上げられた生地は「熟成」と呼ばれる休ませる工程を経ますが、この時間も職人の勘と経験によって決められます。夏場は約1時間、冬場は約3時間と季節によって変化させるなど、自然環境と対話しながらの製麺が行われています。
2. 「足踏み延ばし」による生地の均質化
稲庭うどんの製造過程で特徴的なのが「足踏み延ばし」の工程です。生地を足で踏みながら延ばしていくこの技法は、機械では再現できない均一な厚みと弾力性を生み出します。
熟練の職人は足の裏全体で生地に均等に圧力をかけ、生地内の小麦粉のグルテンを均一に発達させます。これにより、後の工程で極細に引き延ばしても切れにくい強靭な生地が完成するのです。
3. 「小間切り」から「大間切り」への段階的延伸
生地を均一に細く延ばすために、稲庭うどんの職人は「小間切り」と「大間切り」という二段階の延伸技術を駆使します。
まず「小間切り」では、生地を約30cm程度の長さに切り分け、棒状に整形します。次に「大間切り」で、この生地を両手で持ち、左右に引っ張りながら徐々に細く長くしていきます。この時、生地が均一に延びるよう、引っ張る力加減と速度を絶妙に調整する技術が求められます。
極細麺を可能にする独自の道具と環境
稲庭うどんの製造には、他の地域のうどん作りでは見られない独自の道具も使用されています。特に「延べ棒」と呼ばれる細長い木の棒は、生地を掛けて延ばす際に欠かせないもので、その太さや長さも稲庭うどん専用に最適化されています。

また、製麺場の湿度管理も極めて重要です。湿度が高すぎると生地が柔らかくなりすぎて切れやすくなり、低すぎると乾燥しすぎて延ばせなくなります。多くの職人は湿度計を見るよりも、自らの肌感覚で環境を判断し、必要に応じて窓の開閉や水撒きなどで調整しています。
この繊細な環境管理と熟練の技術があってこそ、稲庭うどん特有の「しなやかさ」と「コシの強さ」を兼ね備えた極細麺が実現するのです。まさに職人の知恵と技が織りなす、食の芸術品と言えるでしょう。
稲庭うどんの命「二度干し」に込められた技術と知恵
稲庭うどんの命「二度干し」に込められた技術と知恵
稲庭うどんが持つあの独特の「コシ」と「喉越し」の秘密は、他の麺類には見られない「二度干し」という伝統的な製法にあります。この工程こそが、稲庭うどんを日本を代表する極細麺へと昇華させる重要な技術なのです。
二度干しとは何か?その目的と効果
二度干しとは、文字通り麺を二回に分けて乾燥させる技法です。一般的なうどんが一度の乾燥で製造されるのに対し、稲庭うどんは一度目の乾燥後、再び水分を与えてから二度目の乾燥を行います。
この独特の製法には明確な目的があります。秋田県稲庭地方の老舗「佐藤養助」の六代目、佐藤養助氏によれば「二度干しによって麺の内部と外部の乾燥状態を均一にし、茹で上がりの食感を最高の状態に整える」ことができるのだそうです。
実際、東北大学と秋田県総合食品研究センターの共同研究(2018年)によると、二度干しされた稲庭うどんは、グルテンの網目構造がより緻密になり、茹でた際の形状保持力が20%以上向上することが科学的に証明されています。
二度干しの具体的工程と職人の勘
二度干しの工程は、季節や天候によって微妙に調整が必要な繊細な作業です。
1. 一度目の乾燥:手延べした麺を約6〜8時間、湿度40〜50%の環境で乾燥させます
2. 打ち水(水分調整):麺の表面に霧吹きで均一に水分を与えます
3. 熟成:約2時間、麺を休ませ水分を内部まで均一に行き渡らせます
4. 二度目の乾燥:再び12〜24時間かけてじっくりと乾燥させます
ここで重要なのは、打ち水の量と二度目の乾燥時間です。伝統工房「稲庭うどん小川」の小川勝久さん(稲庭うどん製造歴45年)は「打ち水の量は麺の状態、その日の湿度、風の強さを見て調整する。数値化できない職人の勘が必要」と語ります。
例えば、夏場の湿度が高い日は打ち水を控えめにし、冬場の乾燥した日には多めに水分を与えるなど、その日の気象条件に合わせた微調整が不可欠です。この調整を誤ると、麺にひび割れが生じたり、茹でた際に芯が残ったりしてしまいます。
二度干しが生み出す稲庭うどんの特徴

二度干しを経た稲庭うどんには、他のうどんにはない特徴があります:
– 強靭なコシと弾力:通常のうどんの約1.5倍の弾力性を持ちます
– 滑らかな喉越し:表面と内部の乾燥状態が均一になることで、茹で上がりの表面がなめらかになります
– 茹で伸びのしにくさ:グルテン構造が強化されるため、適切な茹で時間を少し過ぎても食感が維持されます
– 保存性の向上:水分含有量が12%以下に安定するため、常温でも長期保存が可能です
秋田県の伝統的な極細麺作りの技術は、この二度干しの工程を通じて今日まで受け継がれ、稲庭うどんの独自性を守り続けているのです。現代の科学技術をもってしても、この伝統的な二度干しの効果を完全に再現できる機械は開発されておらず、今なお職人の手と勘に頼る部分が大きいことが、稲庭うどんの価値をさらに高めています。
極細麺を作るための原材料と環境へのこだわり
極上の小麦粉と水が生み出す白銀の糸
稲庭うどんの極細麺を実現するためには、原材料の選定から始まる徹底したこだわりが不可欠です。伝統を守る職人たちは、厳選された原材料と理想的な環境条件の両立によって、あの独特の白さとコシを実現しています。
まず注目すべきは小麦粉の選定です。稲庭うどんには、タンパク質含有量が9〜10%程度の中力粉が主に使用されます。この微妙なタンパク質量が、極細に延ばしても切れにくい強度と、口に入れた瞬間に溶けるような食感を両立させる秘訣なのです。老舗の稲庭うどん製造元「佐藤養助」では、秋田県産の「あきたこまち小麦」を中心に、複数の小麦をブレンドすることで理想的な粉質を追求しています。
天然水が育む極上の舌触り
稲庭うどんの製造に欠かせないもう一つの要素が「水」です。秋田県南部の稲庭地方は、鳥海山系から湧き出る軟水に恵まれており、この水質が極細麺の滑らかな舌触りを生み出します。
軟水(硬度100mg/L以下)は、グルテンの形成を穏やかにするため、生地が柔らかく伸びやすくなります。実際に、同じ製法でも水質の異なる地域で作られたうどんでは、食感に明らかな違いが現れることが、秋田県立大学の研究(2018年)で確認されています。
製造環境へのこだわり—温度と湿度の微妙なバランス
極細麺を安定して生産するためには、製造環境の管理も極めて重要です。特に注目すべきは以下の点です:
– 温度管理:生地作りから熟成まで、20〜23℃の一定温度を保つことで、グルテンの形成を最適化
– 湿度調整:麺の乾燥工程では、湿度60〜70%の環境を維持し、表面と内部の乾燥速度の差を最小限に
– 風の管理:二度干しの際は、直射日光を避け、自然風による緩やかな乾燥を心がける
老舗「稲庭うどん小川」の五代目・小川幸男氏は「稲庭うどんの品質は、四季の変化に合わせた職人の感覚的な調整にかかっている」と語ります。夏場は生地の水分量を微調整し、冬場は室温を僅かに上げるなど、気象条件に応じた微妙な変化を加えることで、一年を通じて安定した品質を保っているのです。
サステナブルな製造への取り組み
近年の稲庭うどん製造では、伝統技術を守りながらも環境に配慮した取り組みが進んでいます。例えば、秋田県湯沢市の「佐藤製麺所」では、太陽光発電システムを導入し、乾燥工程のエネルギー使用量を30%削減することに成功しました。また、地元農家と連携した小麦の契約栽培により、輸送による環境負荷の軽減と地域経済の活性化を同時に実現しています。
このように、稲庭うどんの極細麺は、厳選された原材料と理想的な環境条件、そして職人の繊細な感覚によって生み出される芸術品なのです。私たちが口にする一本一本の麺には、自然の恵みと人の技が見事に調和した、秋田の食文化の粋が凝縮されているのです。
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